「空瓶の棚」
前回のあらすじ
雫は母・彩香の事故を防ぐことに成功した。しかし代償として「母に愛されていた記憶」を失い、母娘の関係は冷え切ってしまう。蓮はリセット屋の本質に気づき始める——あの場所は、人を救う場所ではない。
第4話 本編
冒頭——蓮の調査
深夜、蓮は自室でノートパソコンを開いている。検索ワードは「リセット屋」「記憶消える」「裏路地不思議な店」。当然、何もヒットしない。
しかし、ひとつだけ。古い個人ブログの、すでに削除された記事のキャッシュが引っかかる。タイトルは——
「私は”やり直し”ました。そして、すべてを失いました」
投稿者の名前は伏せられている。記事の内容は途中で文字化けしており、読み取れるのは断片だけ。
「……棚にはたくさんの瓶が……光っていた……あの光は、人の……」
「……店主は人間じゃない。あれは■■■■だ」
「……もし読んでいる人がいるなら……絶対に扉を……」
最後の一文だけ、鮮明に残っている。
「あの店には”出口”がある。でもそれは、店主が最も恐れているものだ」
蓮の目が鋭くなる。
展開①——三人目の客
翌日の夜、蓮はリセット屋の扉の前で張り込んでいる。客が来るのを待っている。果たして——ひとりの男が裏路地に入ってくる。
堂島啓一郎(どうじまけいいちろう)、45歳。大手企業の元役員。かつて業界を震撼させた不正会計事件の中心人物で、現在は全てを失い、社会的に抹殺された男。目は濁り、頬はこけ、高級スーツだけが過去の栄光を物語っている。
蓮が声をかける。「あんた、その扉に入るのか」
堂島は蓮を見もしない。「関係ないだろう」
蓮は堂島の腕を掴む。「やめろ。あの店は——」
堂島は腕を振り払い、蓮を睨む。その目に宿っているのは怒りではない。絶望の底を通り越した、空虚な覚悟。
「俺にはもう、失うものなんてない。だから代償なんて怖くない」
蓮は言葉を失う。堂島は扉を開けて消えていく。
展開②——蓮、店に入る
蓮は意を決して後を追い、リセット屋に入る。堂島はすでにカウンターの前に座り、ヨミと向き合っている。
ヨミが蓮を見て首をかしげる。
「あら、黒崎さん。リピーターですか?二度目のリセットには割引はありませんよ」
蓮は無視して堂島の隣に座る。「俺は客じゃない。こいつを止めに来た」
ヨミは楽しそうに笑う。「止める?どうして?あなたは彼を知らないでしょうに」
蓮は答える。
「知らなくても、あの子の顔を見たからだ」
雫のことだ。事故を防げたのに、母への感情を失った少女。あの空虚な目。蓮にはわかる。自分も同じ目をしていたはずだ。写真の女性を忘れたあの朝、鏡に映った自分の顔が——きっと同じだった。
展開③——堂島のリセット
だが堂島は聞く耳を持たない。彼が選んだやり直しの日は「8年前の3月3日」。不正会計に手を染めるきっかけとなった、ある密会の日。あの日、上層部からの圧力に屈しなければ、人生は違っていた。
ヨミが指を鳴らそうとした瞬間、蓮が叫ぶ。
「待ってくれ。ひとつだけ聞かせてくれ」
ヨミの手が止まる。蓮はヨミをまっすぐ見る。
「あんたが集めた記憶は、何に使っている」
沈黙が落ちる。堂島も思わず蓮を見る。
ヨミは数秒間、微動だにしない。そしてゆっくりとお面の奥から声を出す。今までの飄々とした口調ではない。低く、静かで、深い声。
「——それを知りたいなら、”客”になることです。ただし、次のリセットの代償は”記憶”では済みませんよ」
蓮が問い返す前に、ヨミは指を鳴らす。堂島の体が光に包まれ、消える。
蓮はカウンターにひとり残される。
クライマックス——堂島の帰還
数分後、堂島が光の中から戻ってくる。表情は晴れやかだ。「やった……断ったんだ。あの取引を断った。俺は正しい道を——」
ヨミがお代を告げる。
「あなたの一番大切な記憶。それは——”娘さんが生まれた日の記憶”です」
堂島の顔から血の気が引く。「娘……?俺に娘なんて——」
言いかけて、堂島は自分の言葉に絶句する。もう消えている。一秒前まで確かにあったはずの記憶が、砂のように崩れ落ちていく。
堂島は呆然としたまま立ち上がり、店を出ていく。途中で振り返りもしない。蓮は堂島の背中を見送ることしかできない。
ヨミが壁の棚に三つ目の瓶を並べる。ラベルにはこう書かれている。
「堂島啓一郎——父性」
ラスト——蓮の決意
蓮は棚を見つめている。三つの瓶。三人分の、かけがえのない記憶。光の粒が瓶の中でゆらゆらと揺れている。美しい。そして、残酷。
蓮がヨミに背を向けたまま言う。
「あんたの集めた記憶を——全部、持ち主に返す方法はあるか」
ヨミが一瞬、沈黙する。お面の奥の呼吸がわずかに乱れたのを、蓮は聞き逃さない。
ヨミは平静を取り繕って答える。
「さあ。ないんじゃないですか?」
蓮は確信する。ある。方法はある。そしてヨミは、それを恐れている。
蓮は扉に向かって歩きながら言う。
「あの写真の女の人、きっと大切な人だったんだと思う。顔を見ても何も思い出せないのに、胸がこんなに痛いんだ。——俺はあの人の記憶を取り戻す。あんたの”店”を、潰してでも」
扉が閉まる。
ヨミがひとり残された店内で、ゆっくりとお面を外す。素顔は描かれない。ただ、棚の瓶がいっせいに強く輝く。まるで——瓶の中の記憶たちが、蓮の言葉に応えたかのように。
ヨミが呟く。初めて、その声に感情の揺らぎがある。
「……久しぶりだ。”出口”を探そうとする客は」
お面を戻し、ヨミは壁の奥——客には見せたことのない扉に目を向ける。その扉には、無数の鍵穴がある。
「でも、たどり着けた者は——まだ、いない」
次回予告
第5話「記憶の鍵」
蓮は削除されたブログの投稿者を探し始める。そして見つけたのは、かつてリセットを使い、代償を”拒絶”した唯一の人物。その人物は蓮に告げる。「記憶を取り戻したいなら、”四つの鍵”を集めろ。ただし、鍵のひとつは——お前自身の中にある」。物語は新章「鍵探し編」へ突入する。
第4話のポイント
第4話は物語のターニングポイントです。これまで蓮は「被害者」として受動的にリセット屋に関わっていましたが、ここで明確に「挑戦者」へと変わります。三人目の客・堂島を通じて「失うものがないと思っている人ほど、最も大切なものを奪われる」というリセット屋の残酷なメカニズムをさらに掘り下げつつ、ヨミの「弱点」の存在を匂わせました。棚の瓶が蓮の言葉に反応して輝くシーンは、奪われた記憶にも意志があることを暗示しています。ここから物語は「記憶を取り戻す冒険」という明確な推進力を持ち、読者を第5話以降の新章へ引き込みます。

