漫画シャドウレイヤー第3話「壊れた教室」

シーン1:冒頭 — 灯の部屋・早朝

夜明け前。灯が机に向かい、『影視の手引』を開いている。ページの文字は通常の目には黒い染みにしか見えないが、左目を通すと金色の文字が浮かび上がる。

モノローグ(灯):
「影の世界で生き残るための基本。第一条——“視線を固定せよ”。残響は”見つめ返された”と認識した瞬間、対象に引き寄せられる。視るときは、焦点を合わせるな。ぼかせ。」

灯は左目を薄く開き、部屋の隅の影を見つめる練習をしている。影が微かに揺れる。灯は意識的に焦点をずらす。影は静まる。

モノローグ(灯):
「第二条——“感情を凪にせよ”。残響は感情に引き寄せられる。怒り、悲しみ、恐怖。揺れた瞬間、向こう側から手が伸びる。」

灯は目を閉じ、深く息を吐く。だが脳裏に浮かぶのは、昨日見た母の姿。白いワンピース。風もないのに揺れる黒髪。音のない口が「あかり」と動く——

左目が強く発光する。机の上のコップの水面が、ひとりでに波打つ。

灯は慌てて目を開き、両手で左目を押さえる。

灯:「……だめだ。お母さんのことを思い出すと、全然凪にできない。」

窓の外が白み始めている。灯は本を鞄に入れ、制服に着替える。

シーン2:通学路 — 小さな異変

朝の通学路。灯が歩いていると、すれ違う人々の影がいつもより長いことに気づく。太陽の角度とは関係なく、影だけが不自然に伸びている。

モノローグ(灯):
「影の世界が”滲んでる”。昨日より、はっきりと。」

学校の正門に近づくと、一人の女子生徒が門の前でぼんやり立ち尽くしているのが見える。

園田真白(そのだましろ)——灯と同じクラスの、明るく人気者の少女。いつもは友人に囲まれているが、今日は一人で、焦点の合わない目でどこかを見つめている。

灯:「……園田さん?」

真白はゆっくりと灯の方を向く。目の下に深い隈。唇が乾いている。だが、次の瞬間にはいつもの笑顔を作る。

真白:「あ、黒崎さん。おはよ。ちょっとぼーっとしちゃってた。昨日あんまり寝てなくて。」

灯:「……そう。」

真白が歩き出す。灯はその背中を見て——息を呑む。

左目が、真白の肩に小さな黒い影がしがみついているのを捉えている。まだ形を成していない、種のような残響の欠片。

モノローグ(灯):
「取り憑かれてる……?いや、まだ完全じゃない。“取り憑かれかけている”。」

灯は声をかけようとするが、真白はすでに友人たちの輪に入り、笑い声を上げている。

灯はその場に立ち尽くす。何を言えばいい?「肩に黒い影が見える」?そんなことを言えば、自分がおかしい人間だと思われるだけだ。

——いつもの結論。黙る。目を逸らす。

シーン3:午後の授業 — 崩壊の始まり

5時限目。古文の授業中。

教室に妙な空気が漂っている。灯は気づいている。教室の四隅の影が、わずかに脈動している。まるで呼吸するように。

モノローグ(灯):
「おかしい。学校の中にまで、影の世界が滲み出してきてる。」

教壇に立つ古文の教師が、突然チョークを落とす。その音が不自然に大きく、教室に響く。何人かの生徒が顔を上げる。

静寂。

そして——真白が立ち上がる。

がたん、と椅子が倒れる音。全員の視線が真白に集まる。

真白は立ったまま、顔を伏せている。肩が小刻みに震えている。

教師:「園田?どうした、具合でも——」

真白が顔を上げる。

その目が、真っ黒に変わっている。白目の部分まで、すべてが漆黒。

真白(だったもの):「——うるさい。」

声が二重に聞こえる。真白の声と、低く歪んだ別の何かの声が重なっている。

教室が凍りつく。

次の瞬間、真白の足元から黒い影が爆発的に広がる。影は床を這い、机を這い上がり、壁を伝って教室全体を侵食していく。窓の外の光が遮られ、教室が薄暗くなる。

生徒たちが悲鳴を上げ、逃げようとする。だがドアが開かない。窓も開かない。影が出口を塞いでいる。

教師:「な、何が——園田、園田!」

真白の背後に、巨大な残響が立ち上がる。今朝見た”種”が、たった半日で異常な速度で成長している。人の形をしているが、腕が四本あり、頭部には顔がない。ただ大きく裂けた口だけがある。

モノローグ(灯):
「嘘でしょ……あの小さな種が、もうここまで。」

灯の左目が金色に燃える。教室中が見える。影に触れた生徒たちが次々と意識を失い、倒れていく。影がその生徒たちの体を伝い、感情を”吸い上げている”。

残っているのは、灯と、恐怖で動けない数人だけ。

シーン4:決断 — 未熟な刃

灯は鞄から『影視の手引』を取り出す。手が震えている。

モノローグ(灯):
「第三条——“視る力は、祓う力の入口である”。視線に意志を込めよ。影を見るのではなく、影を”押し返せ”。」

理論は読んだ。だが練習すらまともにしていない。蓮は「力を身につけてから」と言った。だが蓮はここにいない。

倒れた生徒の一人が、苦しそうに呻いている。真白の体は残響に操られ、宙に浮いている。黒い涙が頬を伝っている。

灯(心の中):「見て見ぬフリはもう終わりって、自分で決めたんじゃないの。」

灯は立ち上がる。

左目を大きく見開く。金色の光が強くなる。

灯:「園田さんの体から……離れろ。」

視線を残響に固定する。「焦点をぼかせ」というルールの真逆。だが灯は直感で理解している。祓うためには、”正面から見つめる”しかない。

残響がびくりと反応する。四本の腕が灯に向く。口が開き、人間の声を模した叫びが教室に響く。

影が灯に向かって殺到する。

灯は両手を前に突き出す。左目から放たれた金色の光が、影とぶつかり合う。拮抗。灯の腕に黒い痣のようなものが浮かび上がる。影に触れた代償。

灯:「ぐっ……重い……!」

押し負けそうになる。残響が口を開き、灯を飲み込もうとする。

その瞬間——灯の脳裏に、母の声がフラッシュバックする。

「あかり。怖いものを見たときはね——目を閉じちゃだめだよ。ちゃんと見て。そうすればね、怖いものの”かたち”がわかるから。かたちがわかれば、もう怖くないの。」

灯の目が変わる。恐怖ではなく、静かな覚悟。

灯:「——見えてる。お前の”かたち”が。」

灯の左目が、残響の”核”を捉える。巨大な影の胸の奥、拳ほどの大きさの、赤黒く脈動する玉。あれが残響の本体。

灯は一歩踏み出す。影を掻き分け、手を伸ばす。指先が核に触れた瞬間——

激しいビジョンが流れ込む。

シーン5:残響の記憶 — 真白の心

断片的な映像。真白の視点。

——SNSの画面。何百もの通知。笑顔の写真の裏で、真白がスマホを握りしめて泣いている。

——友人たちの笑い声。「ましろって、いつも元気でいいよね」。真白が作り笑いをする。

——深夜。真白が鏡の前で、自分の顔を爪で引っ掻こうとして、寸前で止める。

——「誰にも言えない。弱い自分を見せたら、みんないなくなる。」

灯は理解する。この残響は、真白が押し殺してきた感情——”本当の自分を見せることへの恐怖”が形を取ったものだ。

灯(残響の記憶の中で):「園田さん……ずっと、一人で抱えてたんだ。」

灯は核を握りしめる。祓うのではなく——受け止める。

灯:「お前は、園田さんの”痛み”だろう。消すんじゃない。……返すんだ。ちゃんと、本人に。」

金色の光が核を包む。赤黒い色が薄れ、透明に変わっていく。

シーン6:覚醒の後

教室に光が戻る。影が引き、窓から午後の陽射しが差し込む。

倒れていた生徒たちが目を覚まし始める。何が起きたのかわからず、きょろきょろしている。

真白が床に崩れ落ちている。灯が駆け寄り、支え起こす。

真白が目を開ける。瞳は元の色に戻っている。頬に涙の跡。

真白:「わたし……何を……」

灯:「大丈夫。もう大丈夫。」

真白が灯の顔を見る。そして——何かを察したように、目に涙が溜まる。

真白:「……黒崎さん。わたし、ずっと、しんどかった。誰にも言えなくて。笑ってなきゃいけないって——」

灯は何も言わず、真白の手を握る。

灯:「……私も、ずっと一人だった。だから、全部はわからない。でも——”言えない苦しさ”は、わかるよ。」

真白が声を上げて泣く。他の生徒たちは混乱しているが、二人の間に流れる空気に、誰も割り込めない。

灯の左腕。袖の下に、黒い痣が脈のように広がっている。影に触れた代償。灯はそれを真白に見せないよう、そっと腕を引く。

シーン7:放課後 — 古書店「栞」

灯が古書店に駆け込む。蓮はカウンターにいつも通り座っている。

灯は無言で左腕の袖をまくる。黒い痣が肘まで広がっている。

蓮の顔から笑顔が消える。

蓮:「……影蝕(えいしょく)。残響に素手で触れたのか。」

灯:「他にやり方がわからなかった。」

蓮:「これは”汚染”だ。放っておけば、痣は広がる。心臓に届けば——君自身が残響になる。」

灯が息を呑む。

蓮は立ち上がり、棚の奥から小さな硝子の瓶を取り出す。中には銀色に光る液体。

蓮:「今回は”止められる”。これを患部に塗れば、侵食は停まる。だが根本的な治療じゃない。次にまた素手で触れれば、今度はこれでも間に合わないかもしれない。」

蓮が灯の腕に液体を塗る。焼けるような痛み。灯は歯を食いしばる。痣の広がりが止まり、端の方から薄くなっていく。

蓮:「無茶をするな、と言いたいところだけど——」

蓮が灯を見る。その目に、初めて明確な感情が浮かんでいる。驚き。そして、かすかな——敬意。

蓮:「残響の核に触れて、“祓う”のではなく”還した”。初めて影の世界に触れて二日目の人間がやることじゃない。」

灯:「還した……?」

蓮:「普通、残響は”斬って消す”。それが基本だ。だが君は、残響を持ち主の感情として認識し、本人に返した。残響は消えず、元の感情として持ち主に統合された。……そんな芸当ができたのは、僕が知る限り一人だけだ。」

灯は蓮の言葉の裏にある含みに気づく。

灯:「……一人だけって、誰。」

蓮は答えない。代わりに、視線を窓の外に向ける。

長い沈黙。

蓮:「君の母親だよ。——黒崎澪(みお)。」

ラストページ:見開き

灯が目を見開く。蓮の横顔。夕陽が差し込む古書店。

二人の間に張り詰めた空気。

灯:「お母さんを……知ってるの。」

蓮:「知っている、なんてものじゃない。」

蓮がゆっくりと灯に向き直る。その目は、いつもの飄々とした仮面が完全に剥がれている。

蓮:「澪は——僕の”師”であり、僕をこちら側に繋ぎ止めてくれた人だった。」

見開きの下部。第2話のラストで映った古い写真が再び。灯の母・澪と蓮が笑顔で並んでいる。その背景にぼんやりと映り込んでいるのは——古書店「栞」の看板。

そして写真の端。二人の足元に、小さな女の子が座っている。金色の左目を持つ幼い——灯。

モノローグ(灯):
「お母さん。あなたは一体、何者だったの。」

第3話「壊れた教室」——了

次回予告:蓮の口から語られる、灯の母・澪の真実。澪はかつて最強の「影視者(シャドウ・シーア)」であり、影の世界の均衡を守る存在だった。だがその死には、病気などではない”別の理由”があった。そして灯の左目に宿る力の本当の意味が明らかになるとき、影の世界の奥底で——”何か”が、目を覚ます。

第3話では、灯の初戦闘と成長、新たな人間関係(真白)、そして物語の核心である母・澪と蓮の繋がりを一気に描きました。灯が「祓う」のではなく「還す」という独自の力を見せたことで、他の影視者とは異なる存在であることが示されています。

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